明石焼きとコジマ 後編

私が屋台で明石焼きを手売りしている様子を日本人旅行者のどなたかがSNSにあげてくれてそれを見た明石市の人から1通のメールがきていた。

「明石焼きの宣伝を日本から遠い地でしてくれてありがとうございます。何かお力になれればと思っております」このような内容だったかと思う。

自分が何かコツコツと行動していたことが誰かに認められたような気がした。

実は明石焼き自体はラオス人にあまり受けが良くなかった。

出汁の味がしない、タコを食べたことがないから怖いなど保守的なラオス人の性格にとって、初めての日本食は決して評判は良くなかった。

毎日焼き、毎日お客さんにヒアリングをすることで少しずつ 改良を重ねていった。出汁は辛いものを食べるラオス人にとって味がしないのでやめた。代わりに辛いどろソースを使い具材はタコ、イカ、カニカマ、チーズから選べるようにしてカリカリに揚げることにした。明石焼きでもなんでもないたこ焼きもどきが爆発的に売れるようになった。これには紙皿にマヨネーズでキティちゃんやドラえもんを書いたり日本人がハッピを着て販売していたのがfacebookで拡散されたのが大きい。明石市の人からはタコの現物支給をしてくれるようになり非常に助かった。ラオスは内陸国なのでなかなかタコが手に入りづらかった。そもそもラオス語にタコとイカの区別はないのですが笑

順調に固定のお客さんができてきて2店目をオープンしようとしてた矢先にある事件が起こる。

毎日採れる卵の量が明らかに減ってきている・・鶏は繊細だから気候の変化で卵を産まなくなるとは聞いていたがかなり少なくなってきてる。

これはおかしいと思いこっそり養鶏場に見に行くと… 普段世話をしている人が鶏のスープをせっせと作っていた。そう。彼が養鶏場にいた鶏をせっせと食べてしまっていたのだ。私に気づくと彼は笑顔で一緒に食べようと誘ってきたので思わず笑ってしまった。

こうして安定した卵が採れなくなり私の養鶏場からの明石焼きドリームは幕を閉じた。

人生ネタ作りだと思っている私にとっては1つの面白い経験だった。サポートしてくれた明石市の方やテレビの取材をしてくれた人などには謝罪と感謝を表したい。

次回に続く

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